株式会社アルテサロンホールディングス 創業会長
吉原直樹さん(65歳)

1956年神奈川県生まれ。埼玉大学教育学部卒業後、タカラベルモントをへて28歳で美容学校に入学し美容師免許を取得。1986年横浜市内に美容室を開業。ロンドンのヴィダル・サスーンアカデミーの受講、数多くのカットコンテストへの挑戦、現場に立っての陣頭指揮等、美容師としてのキャリアを積む。東京、神奈川を中心に「Ash」ブランドの「暖簾分けフランチャイズ方式」という美容師の独立支援システムで事業を拡大。2004年8月JASDAQ上場。2006年株式会社アルテサロンホールディングス代表取締役社長。2011年同・代表取締役会長。2013年シンガポール出店。56歳で中央大学ビジネススクールMBA課程修了。2020年より現職、Ash・NYNY等のチェーン店舗数は330店、スタッフ総数は3,000人。

「製造業並みの生産性を実現したい。日本の美容師を世界のメディアに出したい。」

コロナ禍での営業縮小、デジタル化への要求の高まり、世界市場での日本のソフト産業の存在感低下。

美容業界への逆風を乗り越え、「グローバル」「デジタル」「人材創造」で、世界で戦える美容産業づくりに挑戦する吉原直樹さんにお話をお伺いしました。
(聞き手:間中健介)

デジタルリーダーシップを握る

――新年の挨拶で「今年は新しいことをする」と宣言していましたが、どんなチャレンジをされているのでしょうか?

(吉原)会社の経営を“昭和から令和”へと移行させていきます。

私は30歳でこの会社を作り、18年かけて株式上場し、海外進出し、業績も伸ばしてきました。美容業界で革新的な取り組みを実現してきた自負はありますが、いま会社をブラッシュアップしないと国際社会が要求する生産性に追いつくことができなくなります。

DXについて言えば、私たちに求められているのは単にデジタル化の流れに対応するのでなく、デジタルリーダーシップを確立する取り組みです。お客様もスタッフも、そして美容師さんの卵も、スマホで私たちと向き合っています。ですからスマホサイトのUX/UIを高めなければいけません。コンテンツの適切な運用、店舗情報のタイムリーな発信、SNSとの連携は必須です。どのポイント制度をどのように活用するかについての判断も非常に重要です。

ブランディング戦略についても過去の手法は通用しません。美容師を目指している人はAshの会社サイトではなくて吉原直樹という美容師個人のインスタグラムを見て「この人と仕事をしたいか」を判断しますので、美容師個人がブランディングの一起点という前提での戦略構築が不可欠です。

ネット予約サイトにプロモーションを丸投げしていてはお客様の信頼を得ることはできません。私たち自身がデジタル起点に立ってビジネスを設計できるか否かが、いま問われています。

環境変化に対応するためには本部機能を高める必要があります。私自身も取締役を退任し、執行役員からも外れました。理想的には3名くらいの取締役が迅速に意思決定し、そのもとで40歳代から50歳代前半の部門長が会社の主役になるような流れを作りたいです。

こうしたことは当社だけの問題ではなく日本全体の課題と思います。優れた現場力を生かすためにも、ボードメンバーを含め本社機能をブラッシュアップしていかないと日本はアフターコロナの世界でさらなる周回遅れになってしまいます。

――どういうときに日本の遅れを実感しますか?

(吉原)日本の美容師が世界で一番器用だと確信しています。それなのに世界では韓国の美容に注目が集まっています。

近年の米国・ビルボードには韓国人アーティストが毎年上位ランクインしています。昨年はBTSが1位にランクインしました。日本の存在感はありません。58年前に坂本九さんが1位になっただけです。韓国人アーティストが世界で活躍するときにプロモーションを担うのは韓国企業です。コンテンツ企業と化粧品メーカーと美容師とアパレル企業がパッケージになって展開します。半導体市場で韓国は国家を挙げてサムスンを世界一の座に押し上げましたが、同様のことが当社の身近でも起こっています。化粧品で言えばアモーレパシフィックはシェアをどんどん伸ばしています。

アーティストやアニメなどのソフト産業は自動車産業とは比べ物にならないほど小さな規模ですが、ソフト産業が国際展開することでハード産業の国際展開を引っ張ることができます。「鬼滅の刃」が米国進出することでメリットを受けるのは映画会社に留まりません。

本当にこの点では日本政府の真価が問われています。分野やテーマを横断して、パッケージとして日本企業をグローバル市場に出していかないといけない。自動車産業を守っていくという発想ではなく、ソフト産業を育成し、それをハード産業の国際展開につなげていくという発想での産業政策を期待したいです。他の国はそういう発想でソフト産業育成に巨額の投資をしています。日本にも改革志向の政治家がいますし、官僚はタテ割りでありつつも柔軟な発想ができるはずなので、政府のリーダーシップを期待したいです。

――日本企業の変化の遅さについては政府内でも数々の議論がなされてきました。コーポレートガバナンス改革の文脈でも、引退した社長が相談役で長く社内に留まるべきでないとか、若手をボードに入れるべきという議論があります。

(吉原)それぞれの会社のスタイルがありますので一律に語るものではありませんが、当社は取締役を減らしてスパっと即断即決できるようにしています。昨年4月の緊急事態宣言のときは躊躇せず自主休業を即決しました。その最中にも新規出店をし、大型店の閉店をしています。いずれも覚悟のいる決断ですが、スピーディーに決断することが取締役の責務です。

株主の責務についても議論する必要があります。日本の多くの株主は変革を創造していないように思います。アジアの成長企業は投資ファンドからのプレッシャーに常にさらされている一方で、投資ファンドからの人的ネットワーク提供を受けることで成長機会を獲得しています。経営に参画せずちょっとだけ利益をもらうというスタンスではなく、自分自身の人脈やスキルを投入して投資先を必死に育てるスタンスの株主が増えなければ、経営は変わりません。

私自身もこれからの人生において、アグレッシブな起業家に自分のネットワークを提供して必死に支えていきたいと思っていますし、そこから私自身も学びを得たい。

――人材投資や人材育成に対する考え方をお聞きします。吉原会長は人づくりへの一気通底した情熱をお持ちであると思います。

(吉原)私の人生において教育は最も情熱を注いできたテーマです。事業の柱である「のれん分け」は人材育成とセットになってはじめて機能します。美容師が事業家として飛躍することができる仕組みを作りましたし、美容の専門スキル向上のためのプログラムを無数に作りましたし、MBAスクール派遣制度も作りました。

いま日本の教育への強い危機感を持っています。私自身、大学で講義を受け持ったり、様々な講演をお引き受けするなど、社業と関係なく人材育成の現場に関わってきましたが、世界的視野でビジネスを作れる人材は圧倒的に不足しています。経済学部や商学部で即戦力のマネジメント人材をどれだけ養成できているでしょうか?

デジタル分野の人材不足はもっと深刻です。この分野は1年の遅れが致命傷になるので、大学だけでなく高等専門学校(高専)の価値と機能を高め、高専と大学が競い合って人を育てていくようにしないといけません。

世界に人材を送り出す

――MBAスクールへの派遣制度を設けていますが、総合商社でも議論になっているように、留学して学位を取るようなアグレッシブな人材は少なからず転職・独立します。そのリスクはどうお考えですか?

(吉原)私自身も中央大学ビジネススクールに進学し、多彩な人たちと出会うことができました。社員にはマーケティングやアカウンティングなどの専門性獲得と同時に、多彩な人たちとのたくさんのコミュニケーションをしてほしいと期待しています。見識が広がるし、成長へのモチベーションにもなります。

派遣制度を作る際、私は、10人中5人が辞めてしまっても仕方がないと覚悟して制度を作りました。MBAを生かして当社の将来を担ってもらいたいと思って社員を送り出しますが、意欲的な人材がキャリア転換を考えるのは当然のことですし、人材流出自体をマイナスと捉えるような思考を私は持っていません。三木谷浩史さん(楽天創業者)はMBA留学をした後に日本興業銀行を退職しましたが、それが銀行にとって損失であったなどと言う人はいるでしょうか? 「よくやった興銀!」という評価ですよ。

当社は美容室運営会社であると同時に人材輩出企業であり、デジタル企業であり、グローバル企業として、世界で役割を果たしていきたいと思っています。当社の人材が業界や国境を越えて活躍してくれれば、それは当社にとって大きな誇りです。

――政府は経営者に対して高齢労働者の就業機会確保を求めています。生産性向上へのプレッシャーが高まるなか、働き方の多様化への経営者の悩みは増えているのではないでしょうか。

(吉原)現場の理美容師は年齢に関係なく活躍できます。聖火ランナーに選出された104歳の箱石シツイさんは今も現役で理容師をされていると報じられています。90歳代の現役理美容師は珍しくありません。専門職なので自身の強みを確立すれば生涯現役でいられますし、高い報酬を手にすることも不可能ではありません。

社員をフリーランス化する動き(雇用契約を打ち切って業務委託契約に切り替える動き)が一部で進んでいますが、私は、社会保険料負担を節減するためのフリーランス化には賛同できません。私がこだわってきたのは、雇用契約のもとでのキャリアを望まない独立志向人材が働きやすい仕組みを整えることです。安い労働力が欲しいのではなく、高い価値を一緒に創れる関係性が欲しいんです。カリスマ美容師で年収2,000万円稼げる人とか、フランチャイズ経営者で年収3,000万円稼げる人とか、力のある人材が成長して私たちと一緒に美容業界に新たな価値を創出する。そんな働き方を広げていきたいです。

――企業規模を問わず、15年前よりも労働者の賃金は低下しています。美容師は専門職としての能力で稼ぎ、経営者は経営能力で稼ぎますが、ホワイトカラー人材をどう評価・処遇してモチベーションを高めていくのかが、産業界全体で難しい課題になっています。

(吉原)上場以来、当社も本部機構に優秀な人材を集めてきました。その仕組みが今後も持続可能であるのか、先は見通せません。

産業界全体で人材戦略は揺れ動いていますが、雇用契約であるにせよ業務委託契約であるにせよ、汎用的で高い専門性を持つことが長く働くために不可欠です。「与えられた業務を何でもやります」ということでなく、「社会保険の制度改正を全部理解しています。社会保険の仕事は全部できます」という独自の専門性を持つことが不可欠で、それがあれば75歳になっても、顧問やシニアサポーターのような肩書を得て活躍することができます。

もう一度、上場会社をつくる

――吉原会長はマインドも若くてエネルギーも豊富とお見受けします(笑)。一方で「もう働きたくない。成長しなくて良い」と思っている人は少なくありません。私はこのメディアを通して“チャンスの裾野を広げたい”と思っています。ぜひ吉原会長から、「何歳でも、どんな立場でもチャレンジできるんだ」というメッセージをいただきたいです。

(吉原)ビッグチャンスは心の中に埋まっています。私が学生の頃は浪人生がすごく多かった。小説家の遠藤周作さんは何回も受験に失敗し、病気を患い、親に勘当もされながら、芥川賞作家になりました。失敗のなかで諦めてしまえばビッグチャンスは埋まったままですが、諦めなければ必ず掘り起こすことができます。

今の時代は60歳代でもチャレンジの場がたくさんあります。DX時代のメインプレーヤーは若い世代ですが、60歳代にはビジネスを作ったり組織を作ったりしてきた経験があります。ブロックチェーンのビジネスをゼロから生み出すことはできなくても、画期的技術を価値に変え、リソースを集め、組織を作って稼ぐ力を高めるという点においては、若い世代のサポート役として役割を果たすことができます。

もっとも、その際には自己改革が必要です。今の時代はセクハラ・パワハラが絶対に許されませんが、シニア世代はその点の基準に緩さがあります。あくまで若い世代の価値基準に従い、対等な仲間としてチームワークを組むことが大前提です。

私自身はアルテサロンHDの第一線からは離れましたが、事業家としてはこれまで以上のチャレンジをします。美容業界の生産性を他の業界並みに高めたいですし、日本の美容師を世界のメディアに出していきたい。失われた日本の国際競争力を高めていきたいという思いは強まるばかりです。

1月で65歳になりましたが、80歳まで働くとして、あと15年あります。15年あればもう1回上場会社を作って、世界で戦えるビジネスを育てることができます。